物語と萌え

activeエレンさんの24日付けの記事、
コメント欄id:CharlieGordonさんの

萌えの中の1要素として物語があるのだ、と考えるのが「萌え派」、
物語の中の1要素として萌えがあるのだ、と考えるのが「ものがたり派」。

の後者がピンときました。
 
やっぱり「萌え」だけってのは怖いです。不安。
一挿話としていつも引き合いに出すのは亀井絵里の写真集「DAYS」です。
あれが僕の中で一つ「萌え」の象徴になってまして。
その「萌えろ」って暴力的なメッセージにより、
「萌え」不感症になるのではなかろうかと思いました。
それまで通りには「ものがた」れなかったのです。物語不全。
 
「ものがたり」に何を期待してるのだろうか。
コミュニケーションかもしれない。イデオロギーかもしれない。
よってたてるものを何か感じます。
「萌え」を否定するわけでは決してありません。
ハロヲタの一文化的態度としてそれは流通している。
しかし、いつから「萌え」を使うようになったのだろう?
 
更に
ヲタで卒論 〜斧屋のヲタ日記〜さん経由で
 
「実態主義」⇔「虚構主義」
「物語(非萌え)」⇔「萌え」
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「マジヲタ」⇔「DD」
「ベタ」⇔「メタ」
 

「道徳的」⇔「非道徳的(反道徳、不道徳ではない)」
という契機を加えたらどうなるだろうと思いました。
これは、多少の流動はあるだろうけれど一般的に社会が規定する
「道徳」のレベルで、ヲタ心理がどうあるかを考えるという話です。
しかし待てよ、ヲタの「道徳」と一般道徳は恐らく少なからず異質だねぇ。
ああ、そこからちゃんといかないとダメぽい。
 
例えば
りしゃこの水着ダメ!」
「萌えだけでいいじゃない!」
といった言説の価値をこの契機でも計れるかな、
そして意味があるかなと思ったのですが。
 
 
中断