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- 作者: 根本好伸
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2006/05/09
- メディア: 大型本
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田中れいなは類としての「少女」を表象するのだ。
それは理念のレベルだけではない。
経験的判断である。
つまり、人は街を歩けばたくさんの「れいな」に
会えるだろうということ。
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去年の亀子の「DAYS」があってよかったなと思うのは
あれがリミッターとして働くからだ。
ハロプロの萌えの提示の限界なのではなかったか。
萌えにおけるハロプロイズムのリミット。
インパクトでいえばそれと同等の「少女R」。
殊、装飾においては前者以上のものが見られる。
ただハロプロにおける萌えの質という意味では
過剰はそれ相応の意味をなさないだろう。
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物語の契機で言えば
ここにあるのは現在の田中れいなの全き現われだろう。
今の彼女だからこそできること
彼女にしかできないことを見ることができる喜び。
もう一つ亀子の前者と対照して
れいなは、平素彼女が示すヲタとの距離感の特異性により
彼女自身の意図が写真から透けて見える、ということを
言いたい。
その特異性はいわゆる小悪魔的な側面で捉えられたりする。
ただれいなが小悪魔なら亀子は大悪魔なのだ。
それは無邪気の邪気における逆説的な∞である。