仮想おっぱい

神戸でのHPP昼公演に出かける。

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15列目であった。
おっぱいショーの呼び声の高さ通りのおっぱいショーであったが、私はあまり直接おっぱいを見ないようにと努めた。ウブな坊やなのである。また同時にハロプロの神様に叱られるのを畏怖しているのである。というわけで、こそ泥の様に、いかにも何てことないですよ、見てませんよ的な挙動で、盗み見たおっぱい、というわけであった。何だそれ。
おっぱいは無論このHPPの一キーワードに過ぎない。合コン、カラオケコンという強力なヲタ批評概念を忘却の彼方に封じてはならない。とはいえ、おっぱいを無視しきること、これは余りにも暴力的なやり方であるし、何より不自然なのだ。なので、おっぱいを、つまりおっぱい的演出を、きちんと他の概念装置と相対化したうえで、何がより根本なのか、どこにパースペクティブの点を置くのかを決定すべきであろう。おっぱいがいっぱい