何かを好きというときに命をかけないですむ社会。

「人それぞれ」とか「蓼食う虫も好き好き」とかは、所詮コミュニケーションにおける現実的な妥協の産物なのだ。別の倫理的道徳的要請がそこでは働いているようである。このような言葉は人々を殺し合いに発展させしめないために機能する。
 
A「俺、この子、かわいくて好き」
B「えっ、こっちの方がかわいいよ」
A「何をおっしゃる。こっちの方がかわいいよ」
B「そんなことない」
A「そんなことない」
B「むむむ」
 
A・B「ま、人それぞれだからな」
 
このような言葉はまるで魔法の呪文みたいだ。
でもこれらは実に現代の「トカトントン」なのではないか。それを言ってしまって、おしまい、な。時代の病気。