#6

あややの唄に心を奪われた不覚。
 
瞬間は「永遠」に永遠に分解され続ける。
前者は名詞で後者は副詞
そんな言葉遊びの一羅列であり、それは真理だ。
だがそれが一体どうだというのだろう。
私たちは真理を欲しない。
それがつまらないならなおさらだ。
運命の苛烈は
私たちが一向に何も選べない
観念的であるが極北であるような
ポイントを抱えていることにある。
瞬間の永遠性。
奴隷の哲学はそんな運命を
甘受した振りでその実
懐柔を図る。
高貴な哲学は
ロシア人やゲルマンが考えた通りで
その苛烈を肯定するだろう。
 
さて
松浦亜弥は唄う。
 
だけど砂を噛むように 目醒めのベルがなる
 
私は唄に何も期待などしない。
人間が音楽から強奪した領域だ。
唄は人間のものだ。それは手段になる。
でも
自我のなぐさめのための唄なんて
滑稽じゃないか?
唄は人間のものだとしても。
手段としての唄で自我を露わにする。
己が掘った穴に落下する人間。
 
それが人間で
だからこそ愛しいのか。