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ついにライブ
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ガツンとやってやる
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宇波彰「記号論の思想」そろそろ読み終わる。
ラカン、ボードリヤール、ドゥルーズ=ガタリ
フロイト、サルトル・・・
魅力的な思想家が連なっている。
構造主義という思想の20世紀におけるインパクトが
伝わってこないでもない
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ポスト構造主義とかニューアカデミズムとか含めて
そういう現行の思想的動向との
お付き合いの仕方がわからない。
一学生である私にとって、学問としての「哲学」の捉え方が
未だ不明確であるということが根本の原因であると言ってしまえばそれまでであるが
現代思想のある種の付き合いにくさは
その難解さの一因としての
累々と重ねられてきた「哲学」の歴史に対する
コミットメント性にあると思う。
それが付き合いにくさにつながるということは単なる私の勉強不足を露呈するに過ぎないのであろうか。
柄谷行人、竹田青嗣、ボードリヤール等の
思想の羽根は軽く
様々な哲学的言説を優雅に飛びわたるように見える。
しかし思考というものはきっと
地道で泥臭いものなのだろうという予感はある。
私は泥にまみれてはいない。
無菌室の思考である。
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今日はなっち伊東家に出演
なっち節というものが確かにある。
なっちはおばちゃんである。
そして同時に乙女である。
おばちゃんで乙女。
この二つのタームは実のところ
類似しているのではないか
と思う。
なっちの両の瞳はそんな二重性
の直近で見る者をホンワカさせる。