sir yes sir


「sir duke」のサビのコード進行ごまかしてたのだけど、しっかりと聴く機会があったので。
多分| B | E#m | E | C#m7 F#7 |です。2小節目の「E#m」をごまかしてた。キーがBならこの「E#m」は基本的にでてこない約束なんだよ。この部分パッと聴くとまずベース音「E#」は使われてるので、じゃあコード「C#7onE#」か「E#m7-5」なら、オーケーよ。でもそれらを使ってもオリジナルの響きとはどうもどこか違う。耳をすませましたらベースフレーズが「E#-G#-B#」。この最後の「B#」がゴキゲンですけど、でてきて欲しくない音でした。お皿が割れた。だって半音下がって「B」ならわかりやすく、対応するコードもすんなり「E#m7-5」でいけるのに。でも「B#」の音でてきた。でてきて欲しくないのに。じゃあゴキゲン斜めかというとそうでもない、やっぱりゴキゲンなんですねー。
この小節だけキー変わってる、転調してると考えたらどうか。ちょっと楽しい。つまり、別のキーから一時的にコード借りてきてる、呼び出してるのです。何を呼び出してもいいかというとそうでなく、次のコード「E」にシャレオツに連結するファッキンコードがファッキンシャレオツであればあるほどよいのよ。それがスティーヴィーには「E#m」だったと。アレンジャーは本人かどうかわからないけど。それはそれとして、このコードの記述を一般化すると「?#m」、あるキーの音の順列における4番目の音の♯音をルートにしたマイナーコード。繰り返すにこいつなかなか流れの中でポンと出てこない。他にこのコード進行の類例思い起こそうとしたけどこれもまったくでてこなくて、これはこれでまあ脳の問題だ。?#m導く一般的な方法あるのかどうかわからない。例えば、B#の平行調がG#m、その同主長調のG#の平行調がE#m、とでてくるけれど、蓋然的だ。
ことポピュラーミュージックに限り、ドラえもんの関係でコード理論の基本の基本を説明できる。大雑把だし強引だけど。のび太の動き=音楽の動き、流れとして、じゃあのび太がどう動くか、ということ。ここではドラえもんジャイアンとスネオの三者の間を、のび太が行き来するその行き来の仕方。ドラえもんは「トニック」頭文字とって「T」という役割、機能。ドラえもんは安心、安定。ジャイアンは「ドミナント」頭文字「D」。不安定、緊張。暴力すごいし不合理だ。スネオは「サブドミナント」頭文字「SD」。ドミナントであるジャイアンの手下。ジャイアンよりはましだけど不安定、緊張する。意地悪。ひとまず、しずちゃんがいない、大長編のジャイアンはいい奴などは置いておく。
こういう3種類の役割機能を持ったコードがあって、のび太がそこをあっちこっち行き来するんですが、彼の生活を思い浮かべてみるとどうか、スネオきっかけで、ジャイアンにいじめられ、ドラえもんのところ帰ってきてその苦悶を切々と訴える、というようなパターンは典型的じゃないでしょうか。コード進行でいうと、「SD→D→T」。スネオジャイアンドラえもん
上記のsir dukeのサビは
| B | E#m | E | C#m7 F#7 |→| ドラえもん | ? | スネオ | スネオ ジャイアン |
と強引にあてることができる。?は役割わからない。
それでまぁこれだけで何なのだ、のび太とは何なのだ、コードは三種類しかないのか、そもそもコードって何だなどと詰め寄られると唸るしかないし、もとよりコード理論奥深くてわからないし、ドラえもんは個々のイメージ思いいれが色々あるだろうし、すみません・・・。

ドラえもん抜きのこのコード話含めてバークリーのジャズ理論−ポピュラー音楽理論、楽理を当然もっと俯瞰的に丁寧に説明しつつ、理論の進化、理論史、概念史、ポピュラー音楽史という側面ももってて、よかったです。スネオの弟とかジャイアンのお母さんとか出てくると思います。この本元にして細かいところ気になったら専門書へというコースはよいね。