ゴールデンウィーク後半から東京行ってゴソゴソしたい。
神戸に
http://haruhi.org/
というようなお店があり、あとこの間読んだ社会企業の本にあった
http://www.kotolier.org/

http://tokiwasou.dreamblog.jp/
マンガ家のログハウスもそうだし翻ればphaさんのギークハウスだったりもくもく会だったりも刺激で、そういうのの音楽バージョンを、と考えるのだが、音楽の空間使用その条件って、最低でも音が空気、媒質を伝わる範囲に影響することになる、なので大変だね、と。都内の店舗物件をチラチラ見ていたけれど、特別な用意しないと(防音設備)、あるいは特殊な環境でないと(周りがうるさい)、まあPAや大きな音の楽器は鳴らせないだろうし、であれば、やれることはおのずと限られてくるだろうけれど、それでも、徹底的に道楽で、そして継続的に、そして少なくともまずお互いがお互いを面白がれる人間同士でお金を出し合って、どこか間借りして、何かできたら、とほのかに火を灯した次第。「継続的に」ってのは、根づきの問題だが、ウェブテクノロジーの作用を勘案しても、それは拡声器だとか校内放送だとか、「伝わる」こと、スピード、範囲などは選べない。さりとて、しかけはあきらめるべきでないでしょう。釣りはしたことないけど、多分釣りだ。魚が針にかかることと、たくさんの次元での準備は、釣れてから結び付けられる。ロマンチックに言えば、ただただ人間コンテンツのログとなること、そういう側面のみで終わること。
じゃあじゃあ、東京で無いとだめなことってあるか?という問いへの一つの回答、情報インアウトだけでいえば技術による平均化で選択肢は爆発的に増え、逆に生活から不利な条件、そういう抵抗もある中それでも「東京」ってのはなんで?と問われるなら、それこそ状況の逆説というか皮肉で、あるいはニューヨークでもいいのだけど、「人が多い」「存在が多い」っていえば、納得してもらえるだろうか、というと自信はほぼない。インドの人口密度じゃダメよ。とってもステレオタイプを思い描いての比較にすぎません、すみません。一時「フラット化」って流行って、それはサイエンステクノロジーによるグローバリゼーションの並行現象みたいなこと、と理解した。地球がアクセステクノロジーで極々小さくなることだ。ケーブルでぎゅうぎゅう縛っていく。フラットって3Dの地図化アドレス化。
どこで世界を完結させるか?ということかもしれない。どこも同じならどこで終わるか?極論前提だし、実存の問題でしかない、のか。
で、東京で何事かするため、の下準備の5月頭です。