heihei

二冊とも読み応えあった。

とてもとてもざっくり論の流れを言うと、本書は、現行の支配的な思考の思想のモードは自家撞着、自縄自縛してしまう、じゃあそのオルタナティブはありうるか?となる。
その現行の思考モードって何か。それは広義の意味での「新自由主義」であり、幾つかのバリアントからの抽象。いわゆる政治経済政策や市場原理のそれらの実相「だけ」を指すものではない。もとよりこの観念、つまり「新自由主義」って、政治様態の内実の区分からいっても歴史的にまた場所的に右だったり左だったり、あるいはその自体の内容、原理の部分からいっても、リベラルとデモクラティックの緊張があったり、いろいろややこしく、みえる。「新」って頭につくぐらいなのだから、歴史的な流れを持つ「自由主義」である、と、乱暴には言えそう。
じゃあオルタナティブは?結論をいうと、ここでかなりきわどい「アナーキズム」という概念を著者は出してくる。だってアナーキーですよ。どうしてもテロルや暴力を連想してしまう。著者は勿論その通俗的通念的な概念理解を払拭せんと、歴史的な当コンセプトの変遷を叙述して、アナーキズムの理念を追うわけです。それは、権力的な国家、諸機関、諸制度に頑と対抗する「下からの」手続きである。その具体、実践は?そこに新しい共同体、(ニッポンの)サブカルが接続していく。
著者の論はもっともっと細かいです。多分に自分の関心であるところに(自分だけでなく、趨勢として継続的に感じられるところである)ひきつければ、根本は、「人間」って概念、人間はどうあるべきかといった問題(こう書くとどこか陳腐)に対する、不断の問いかけ。

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市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)

市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)

新たな市民のあり方、民主主義のあり方。公共の概念。討議のデモクラシー。他国の実践をたくさん交えてあって、興味深い。
「近代」が大きな概念である。持て余す。著者はベックやギデンズなどを持ち出して、近代の階層性を指摘、今問題になっているのは「第二の近代」である、とする。ここからここまでが第一の近代でそれ以降は〜という風にくっきり区切れるものなどではなく(新しい現象も旧弊なもののカウンターだったり結果だったり、連関がある)、階層的に理解する方が説得的ではある。
その「第二の近代」における市民の実践、その理念、コンセプトについてのお話、ということになる。事例はほぼ西洋諸国のものであり、日本にどのようにそれらを持ち込むか、とか、「討議−闘議」の実践は、その成立条件からしても、なかなか難しそう、という感想を持ったけれど、ヒントを多く貰った。