小室さん幼児性って何よ量の問題かよ本当のところどんな意味なのか本を買って読むとよいのでしょうね。チッ、と舌打ちです。だってそんなことどうだっていいじゃありませんか。も一回アサヤンをやってですね、うちはテレビ大阪の電波が届かないものですから関係ないのですけれども、そこでつんくさんと勝負したらいいんじゃないの、幼児性抜きの真剣デスマッチをですね、展開したらいいのじゃないの。ある国ある時代の商業音楽の性格性質を一義的に形容表現するだなんてハレンチだよ。好き。うそ好きでも好きでないこともない。あとあれだ、商業音楽の内容の組み合わせもう無い、出尽くしたし、といった風なことを過去にご発言しなすったねえ。記憶違いだったらごめんなさい。もとより又聞きだしごめんなさい。又聞きで人の事をどうこう言うなんて非道徳的ですね。やんぴ。

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なんで、つんくさんの事巻き込む。じゃあやっぱりどうせなら、エンターテインメントにしたらいいんじゃないの。音楽で喧嘩したら。

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インプットする時に、本流−亜流で分けて、本流ばかり入れてく作戦。そういう目的的なインプットはどうなんだ。つまりそれなりに操作的、フィルタリングしてるわけで。無駄なものなんて、余剰なんてこの世に無い、という主張とそれはある次元ではぶつかる。ただしただし、これら主張には前提とするところがあるんじゃないか、要はアウトプットの「組み合わせ順列」を信じてるところ。

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生き延びた人間の余生というか惰性のそれ、という表現は辛気臭い。けれど、わたしは死ななかった。それだけ。ティーンエイジャーで生き苦しんでる人らはわたしを嫌うこと、それがいい、なんて思った。うぬぼれではない、出会うのは事故だという点で不可避だから。わたしはわたしが昔想像してたより今みっともなく生きている、とは思わない。いつだってとんでもなくバカだ!おしまい。