キーワード編ということで、「ブルース」「ダンス」「即興」「バークリー以降の理論」と4テーマ。それぞれのキーワードから音楽を見つめるという形で、ヒントになる。ただ個物を淡々と摂取することだけでは歴史を統合、創造できない。自分はこの本で構築されてる歴史を読むことで、形式的に過ぎないかもしれないのだけど多々触発された。「歴史編」と合わせて、大きな視座を見せてもらった。著者たちの他の仕事も気になります。
今ここで鳴っている音がそれ以外の事物と関係してくること、外からは否定的なドグマに見えてもしょうがないのだけれど、それの意味。純粋な音の話をするために楽音を抽象することの困難は歴史を少しでも知るに極限的に高まっていく。

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哲学の教科書 (講談社学術文庫)

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

著者のパッションがある。こういえるか、「哲」学のはなし。「哲学」でなくてやっぱり「哲」学。パッションのアクセントが、学が学であることというまた固有の問題に対しては多少軽めかなと読めたけど、うーん。とても素朴に、学問が学問であることには、その正当性が保証されていないとダメだと思う。素朴に。「哲学」もまさに自己言及的に己の正当性を学問のそれを追及してきた歴史を持ってる、のだけど、著者のパッションはそこにはない、と思った。その点で排他的かも。この本では短い、この著者のいわゆる哲学各論をじっくり読みたくなる。それは著者の本望ではないと思うけれど。何故というに、それは己で追求してなんぼだろう、という話だろうから。
哲学の謎 (講談社現代新書)

哲学の謎 (講談社現代新書)

これは各論、時間の生起とか、身体問題とか、自己同一性とかについてもっとライトタッチ。
現代哲学事典 (講談社現代新書 225)

現代哲学事典 (講談社現代新書 225)

これはもうちょっと細かく色んな分野を。事典とあるけど各論解説って具合。

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ポストモダニズムを超えて―形而上学から哲学的シュールレアリズムへ

ポストモダニズムを超えて―形而上学から哲学的シュールレアリズムへ

ポストモダン以降どうするって話。何故「哲学的シュールレアリズム」なのか。ポストモダンで行くとこまで行っちゃってじゃあどうしようってなって、ポストモダンを反省的に乗り越える、ってことなのだろうけれど、内容がむずかしい。シュールレアリズムは「合理性」や「実在」に対する態度としてのそれ。ただまさにそのシュールレアリズムが自体でむずかしいので、じゃあどうしよう、と。読み取れたのは、ポストモダンから継承した、普遍性へのアプローチ−拒否、抵抗とか、テクスト≒実在性とすることによる主客二元を超越していく方向、ただし(近代的)人間の消失というような極北への方向ではなくて、あくまでテクストとしての実在から着実に歩を進めることとか、あとより実践的な文化間のコミュニケーションの態度と、理性の諸側面の横断的な態度、日常におけるそれらとかが必要とされている、というようなことなのだけど。それらは綱渡りのような実践に見えるけど、態度としてそれは大げさじゃないとは思う。ポストモダンという大きな何かが腫れ物みたいにあってすごくデリケートに対応してる印象もある。根本的ドラスティックな態度変更でなく、ほころびに対する対症療法的な印象というか。