ごっちんの夢を見たので書きます。僕がその夢を見たのは、ごっちんハロプロを卒業するってニュースを聞いた日の晩のことでした。
僕は誰か友だちと、東京だか大阪だかのどこまでいっても都会の空間を特別の目的も無くうろついていました。夢の中でこの都会の空間をうろついたことが何度かあります。でもその判断は、夢の記憶、あるいはそれらの淡い印象の断片を、覚めているときにあいまいに透かし合わせてみてそう言っている、というだけに過ぎないのですが。街は人がところどころに多い、多いと思うところに実際多いといった風な感じ、6〜7車線位の広い道路が何筋かあって、時間飛び飛びの空間うろうろ歩きの中、僕たちは2度昼を経験したようでした。
定食屋が並んだ明るい地下街に匂いの記憶はありません。色々な店をおもてから覗きつつそこそこ歩いたあと、お洒落な雑貨屋さんぽい店に入っていました。暗めの落ち着いた灯りに総板張りといった店内、お定まりのカラフルな雑貨めいたものやあまり古着ぽくはない衣服が陳列されていることなどを確認しましたが、途中で急に思い出した、この店はもうすぐ閉店なのです。僕は大分あせっていた。ごっちんが店の出口で買い物終わりのお客さんそれぞれに、それぞれの唄を唄っているのが見えました。それは、それぞれ即興のようで、買い物を終えて出て行こうとするお客さんたちの「何か」要素に合わせて、唄で送っているという具合だったようです。
僕に対してもやはり、何らかの僕の要素に合わせてごっちんは、お見送りのありがとうの唄を唄ってくれましたが、唄っている様子のイメージこそあれ、どんな内容の唄だったか、どんなメロディだったかなどは覚えていません。その時ふいに僕はごっちんに何かを言い始めました。でも何となくですがそれは禁止されていた行為だったし、まず勘定もしなければならないし、そのくせ自分の財布がなかなか見つからないという、何重にもややこしい状況だった。僕はほとんど反射的に何かを言い始めたという感じで、なかなか言葉が言葉にならなくてもどかしい、時間がどんどん引き延ばされていくような感覚の中で、ごっちんの顔を見たり、焦点が合わなくなったり、それでも、また会えるよ、またコンサートで会える、みたいなことを言った気がします。それに対してのごっちんの反応はよくわかりませんでしたし、結局友だち(それは中学生の時の友だちの顔をしていた)に小銭を借りて小物の買い物をさっと済ませ、すっかり暮れてしまった屋外へ出た、そんな結末だったと思います。
夢の中の当たり前は、覚めている時には全く当たり前じゃない。僕は人の夢の話を聞くのがあまり得意でないです。得意な人がいるのかどうか。どう反応していいのか困るし、何か気持ち悪いときもある。その理由の一つは、この「当たり前」が問題になっている気がするのですが、よくわかりません。
僕は今一応覚めている状態ですが、ごっちんに何を言えるか、何を言いたいか、となるとやっぱり夢の中みたいに言葉に詰まりそうで、悲しい気持ちになってきます。