鳴り始めた恋のBell

鳴り始めた恋のBell

単発物におけるつんくさんの活き活き度は浪速のベートーベン並みのトレトレぴちぴちだ。それが定評であるのかどうかは怪しいけれども、やはり僕の中では確固としてそうなのです。思い出してごらん、浜の真砂は尽きぬとも、ハロプロ単発ユニットは尽きません。翻って、そのピッチピチの根拠として、彼が根っからの飽き性であるから、と判断を下すとすれば、それは一面真理のように響くだろうか、あるいはまったく上っ面の心理分析に過ぎないだろうか。ラヴイズブラインドの対象が寺田さんですみません。ラヴのヴをヴと書いたのは光男のせい、彼のことは依然よくわからない。
ずっとずっと洗練されてきたように思える「ダサい」という武器が今どのように輝きを放つのか。うむ、いきなり、「ダサい」と言い切ること、そんな風にいい始めることは少なからず忍びない。その洗練の度合いから言えば、ハロプロそしてつんくさんに並び立つものはもはや皆無といいきって、胸を張っていい。これは例えば音楽ファンの誰かが「ハロプロ」がヒットチャートに入ってるのを見て、「ハロプロだせー」という様を想像することが簡単だからだ。そういう「ダサさ」だし、それだけじゃない「ダサさ」。この根拠が説得力をどれほど持ちうるか僕はとても知りたい。
圧倒的にずば抜けた「ダサさ」。勿論この場合の「ダサい」はいわゆる一般的なマイナスのそれではない。じゃあそれは何?「ダサい」の反対概念がどこかにあって(常識的にいえば「かっこいい」だろうか)それと規定しあうというイメージだろうか、というとそうでもなく、極めてハロプロ的な価値としてのそれなのだが、それでもやっぱりぼんやりしてるので、言わなかったほうがましのような気分になってきた。ちょっとおしっこしてこよー