笑顔

笑顔

良質のポップス2曲。

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谷村有美は結構理論的に書く人なのかな。メロの大まかな構成や、モチーフ、コード進行からそういう印象を受けた。
カップリングのカヴァー「あなたに出逢えて」はメロウな佳曲。ウェストコーストシティな、ブリージンな、16ビート、エレピ、フレットレスベースの伸びやかなフレーズ、ギターのカッティング。リフレイン「あなたに出逢えて」。

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BARKSにインタビュー動画が
http://www.barks.jp/watch/?id=1000019638&wpl=wm&wbw=1m
http://www.barks.jp/watch/?id=1000019639&wpl=wm&wbw=1m
 
彼女の「経験」という言葉の重み。
 
どこかで彼女に出会ったら、なんて声をかけよう?
あやや?松浦さん?亜弥ちゃん?まっつー
どんな風に呼んでも柔らかく応えてくれそうな
母性的なものなのか、何なのか、大人?余裕?
でもそういう限定的なものでもないような。
 
プロダクト「松浦亜弥」はモンスター、巨躯で自律的でたくさんのものを巻き込んできた。対して小手先の作為はまるで通用しない。
あややにとってのあややについてなんて、想像がまったく及ばない。一般に自分で自分を抱きしめることはそんな簡単な営為じゃない。真摯な誠実な人なら特にそうだろう。墓穴まで嘘つき続けるか逃げ続けるか、そんな戦法がある。鏡割ったり。無視したり。いつかのブームで本当の自分探ししてた人はもう見つけたんだろうか、と考えると憂鬱になる。そんなものはどこにもありはしない。知性的な解決か、実践的な生活の知恵で解決するか。自己(意識)という神経症。刀鍛冶のように見えない己を打って練る、作る。彼女にとっての彼女。
 
アイドルと人間の女の子のタッグオブウォーはスタティックな自然消滅を迎えたのだろうか。あるいは幸福な?
カテゴライズは後天的で便宜だ。個的な経験はそれらを突破するだろうか?あややはどこかどこまでも個的で、個人であろうとしているように見える。恣意的な解釈。
 
どこかで彼女に出会ったら、声をかける前、先にまぶしく手を振ってくれそうな、そんなイメージを浮かべている。