http://d.hatena.ne.jp/lovelikelie/20070603/p2
http://d.hatena.ne.jp/yakisoba0617/20070607/p1
 
まず、物語の能産者としてのヲタサイト、テキストサイト(便宜的にこう呼称する)、ハロプロに関する、「ウェブ」における「ネット」活動者の実存活動は、もっと語り部としての自負を持ってもいいんじゃないかと思います。「ネットがなければ、ハロプロは云々」という言い回しの説得力はそういうところにある。無論僕がいわゆる在宅であり、ウェブーネットの恩恵を、そのハロプロ物語を大いに享受するものであるからこその主張なのではありますが。
 
で、技術が人間精神を、人間性を変容させる、というテーゼは有史以来継続的にその有効性を発揮していて、20世紀以降のテクノロジーの経験はもう「人間」ですら陳腐にしてしまうほどの威力をもっている、といってもいいかもしれない。そんな中発生した「ネタ」「ベタ」。その区分の出自については知らないのですけれども、区分されたことで良くも悪くも「ネタ」はとても軽みを得たのだと考えます。ネタのネタ性といいますか。これは態度としてのオタクもサブカルにとっても、その相対するモノの対象性に関して、という意味で同じなのではないかという印象をもつのですけれども。そして、奇しくも前記区分によって、必然的といえばそうですが、位階化が発生してしまう。「ネタ」と「ベタ」の闘争です。お前、ネタに逃げるなよ、とか。逆に空気読め、もこの文脈ではないでしょうか。
 
ちょっと飛びました。