ムーン・パレス (新潮文庫)

ムーン・パレス (新潮文庫)

僕はこの小説に出てくる
人物、主人公含め全ての人に同情できない。
彼らは総じて不幸だ。運命の不合理非合理に
翻弄されボロボロになって、死やアル中や精神異常に陥る。
それでも彼らはそれら運命に対して何らかのアクションをとりつづける。
それらへのわずかながらの勝利に向けての。
勝利といってもそれは、人間の運命に対する最狭義の意味での
それである、といえる。そんな勝利なんて全くの無価値であるかもしれない。
それでも彼らは誠実にアクションし続ける。
 
そういった全ての事柄が物語として淡々と語られる。
ロマンチックはあるが、ナルシスティックはない。
 
恐らく不幸、不運というものは比較、相対化できない。
不幸にある人は己が不幸であることを、己の不幸を把握できないからだ。知りえない。
逆に人(己以外の)の不幸は正当に(あるいは不当に)把握することができる。
 
戦災孤児ストリートチルドレン、飢餓難民などの存在
から僕は何を学べるだろうか。愚者の天秤、その無力。
偽善の烙印などは無効になる、というよりここに善悪などはない。
ナイーブはささいなものごとを見えなくさせるのか。
 
それはきっと全ての人間にあてはまることになるだろう。
不幸は認識論の対象でなくて、存在論のカテゴリーにあることになる。
 
これはナルシズムであるが、ペシミズムではない。
「できること」(可能または人生の総体)と「すること」(現実または自分)の間には
絶対的な質の差がある。それを架橋しようとするのが倫理であり、
人間であるのだと考える。