これもitsで。

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「星のしずく」
バラード。
サビ最後のハイトーンは
こは=きらり史で一番高いか?
こういうアレンジ含め曲世界が想像させる
こはが唄う様子、マイクに向かう様子
とても胸キュンだよ。そんな俺28歳。
 
「Spaghetti」
唄入る前の「ン」が絶妙に愛らしい。卑怯。
Aメロの言葉のつめ方も、拙さを積極的に価値付けてる。
総合してメロのダイナミズムに巧みを感じる。
Bメロの最後からサビへの展開、それに呼応するアレンジ。
あと、ブリッジの存在感とか、コントラストが強い。
「チョリソ」も卑怯。こういうのを「こはやらしい」と
形容していきたい。あーこはやらしい一曲だなあ、とか。
 
「I Miss You」
Aメロの組み立て(起承転結)からBメロへ。
こはやらしくないが、彼女のバラード曲との親和は
もうずっと言われ続けていることだ。
 
「EVERYDAY PRECIOUS DAY」
Aメロのはねるリズムが一曲を貫くパワーを
持っているのかもしれない。
イントロとサビのリズムの方が従属的というと
言いすぎだろうが。
 

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全体的に。
アレンジは規格化されてて、通りがよい、優等生というか。
決して好みではないけれど、技術として高度。
楽器の意味をすごく支配してる。逆に言えば遊びがないが。
復元技術にかけては右に出るものがないわしらポップ世代の
雛形なんだろうなあ、とは思う。あり方としては全うなんだろう。
あと作曲巧者揃いという印象。
 
ハロプロ臭さは無いが、久住小春を美味くつかった
いいアルバムだと思う。
 

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彼女にしか唄えない領域がくっきり。外延・久住小春
ベリもそうだよな。ハロプロ音楽における地歩築いてる。
この辺り、多少楽観的でも、ハロプロ物語の音楽メディアという部分において、
共時的にはパイの奪い合いがありえないという認識、
かつその前提として、ハロプロハロプロたる所以でもあるといえる、
それぞれのタレントの発露、あるいは発露の促し(操作的作為的だが)がまさに
その個々においてあらわれるという認識は一つの望ましさを示していると思う。
それは「タレント」が便利な概念に堕さない限りでそうなのだ。
現実的に総合すれば、ほんと一面的な考えに過ぎないんだろうけれどな。
まあ実際、そこで苦しんでいる例の方が多いと判断されている、
それが趨勢だという印象はあるわけで。
何てったって、森羅万象変化のうちにありますから、
ハロプロ物語も例外でないわけであります、
という「何ともあまりにぼんやりすぎて結局何も言えてないテクノロジー
全開で筆を置こうっと。