三四郎 (角川文庫)

三四郎 (角川文庫)

隔世とはいえ
今はどこにもない別の国のおはなしみたい。
文明開化の音もいずこ、成熟した先進的な
ヒロインをツンデレでも読みうるかな、と思ったり。
 
広田先生の昼寝でみた女の夢を語る一節が好きなので引用。
三四郎が尋ねて

「よくその女ということがわかりましたね」

「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子をかぶって。―そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙の法則は変わらないが、法則に支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。―さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である。黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」

ハロヲタの性なのか、対女の子関係のテキストの類は、ついつい己に引き寄せてしまって、この場合だと、例えば十二、三才だからりしゃこをあてはめたり、黒子の特徴からよすぃことかさゆとかをあてはめたりして、ずんずん物思いにふけるわけです。
いつかの夢の中で、いつかの頃のハロメンがいつかの頃の姿であらわれる、ということはきっとありうるだろうと思う。この小説において、この件は印象深いがやはりあくまで挿話なのだと考えてみても、きらめくように示唆的なのは、瞬間、一瞬、一回性という概念に通ずるもの、それも女の子一般のそれに関する一見識であるのではないかと捉える恣意によるからだろうか。瞬間⇔持続(反復)、一瞬⇔永遠、など対概念は同時的、弁証法的に成り立ってる、という見方は形式論理の範疇にはないかもしれないけれど、友達がいつか、中島らもの書いたもので、恋愛(感情)は歴史に垂直的だ、といったような命題を教えてくれて、それと遠因ではあるが関係するかもしれないので、勝手に勇気を得た思い。いや明らかに恋愛は別ものか。ともあれ、いつも一瞬は素敵で、人間の生理(同一律とか因果律とか)にそぐわないくせに、いやそぐわないからこそ、人間を、世界を駆動させている、そんな気がしてしょうがないです。僕は亀井絵里のことを考えますよ。