【Inter】東浩紀がレインボーピンクを激賞【Communication】
エレンさんのところも
【Inter】東浩紀がレインボーピンクを激賞【Communication】 - activeエレン
 
たまたまスレの方もざっくり見てた。
で、どう解釈するか(遊ぶか)って話は当然メタレベルとして措定される。
一つ論理としてメタは無限遡行しうるだろう。メタのメタのメタの・・・
現実的な人間のソフトの力能如何は置いておくとして。
それで、それらメタレベルの解釈をベタでもネタでも
どちらで回収してもいいが、その前提はそもそも我々がそのどちらかを
選べることの可能にこそあるのではなかろうか。
そしてそれが問題なのではないだろうか。それは可能なのか。
アナクロで的外れな懐疑論にすぎないか。我々は選びうる?
メタに構え、ネタとベタの間で息はずませる修羅たちよ。
私は倫理の闘争の話にもっていきたいのだ。
たーたかいのー、とーきは来たー。
選択に命を賭けるというと穏やかでない、
(擬似)相対主義の世の中なら尚の事だ。
だが私はいや俺は選べるし選ばねばならない。レインボーピンク
どう解釈してどう引き受けるかに命燃やしつくさねばならない。
さて、以下で、柴ちゃぴんといちゃつかんとしてるときに、こはが無意識的に意識的に邪魔しに来るというおはなしをおはなしします。しばこの背中の下で放置されたままのみかんがずぶずぶ潰れました。柑橘とすえた足のにおいとしばこの頭皮のにおいが鼻の穴の前をいったりきたりします。これはぁ何というプレイですか、としばこは極めて上品に尋ねようとしますが、背の下のこたつは固いし、みかんはぬるぬるになってしまってるしで、おまけに、斯様に特殊なシチュエーションであるということも相まって、尋ねは上の空の上滑りです。勿論僕も答える気などさらさらない。いいからいいからと声にならない声を発しながら、ふとこたつの電源切ったかな、などとエコモニ。の戒律を思い出す。梨華ちゃんさゆみんこれはいけないことなどではありません。純然たるおままごとです。
小春が「ない!」と僕の耳元で叫んだ。しばこにまたがりながら、急転直下の鼓膜のエラーからはじまる電気的神経伝達、左半身がまたたくまに他人のようになるのを感じました。白目でさようならこの世。やだ何がないの、と吐息をシフトチェンジしながら対応する優しいしばこなのに、もう一度、僕の耳元で「ない!」と小春が叫んだから今日はメロン記念日。「何何、何が」「チャコペンがない!」「それは大変」としばこはするり、硬直し屹立する僕の身体をすり抜けすり抜け裁縫箱へ向かう。ああ小春や小春、今時チャコペンで何を線引くのかね。プレゆとり教育世代とそのポストの区分けか。ガイア思想から見る南北問題か。ハロヲタにおけるネタとベタの境界か。と何もかもションボリしてしまってくよくよ回想して幽体化しかけている僕を、この世界につなぎとめてくれたのはやはり当の小春なのでした。小春が僕のほっぺに軽く口づけして云うに「キスでも赤ちゃんは生まれません!ピンキー小春でした!」。小指をピョコピョコ突き出して、生命が誇らしげなお尻を、裏腿を残像に置いてけぼり。彼女は確実に人類よりバネが多くて、それってきっと突然変異とか進化論とかそういうおはなしの範疇なのではないかと思います。あとでしばこと顔合わせたらもじもじしながらでもいい、誕生日おめでとうって言ってみよう。僕の下半身はなかなか進化しはしないけれど。