夢でディランとキャサリンのディランの物真似をしてる俺はすごくクールで面白かったのに。夢から醒めてみると、冴えない、という意味で久しぶりに夢らしい夢だったのかもしれない。んぁーわかってる、あー、んあぁー
 

Vakio

Vakio

例えばリズムのゲシュタルトを直接的に示すことで、逆にそれらを強く動揺させる、ついには崩壊に至らせる、という手法であるのかもしれない。なのでその直接性から表面的にはやたら音楽的に聴こえる。そういう手法(あるいは手法の為の手法)ってきっと実験音楽の領野においては古びてしまってるだろう。当のpan sonicが聴く者一般のゲシュタルトについてどのような意識を持っているかは知らない。翻って、ゲシュタルトという概念が音楽を聴くに当たり、アクチュアルな問題をはらみうるのかどうかも知らない。もう何も分からないわあたし。
 
今思いついたのは、キャサリン役にはごっちんが似合いそうだということだ。キャサリン役の友近役のごっちん、ということです。それはごっちんの演技力とか、振舞い方からの判断である。ごっちんの外人役といえば、ルーシー後藤が白眉であるが、あれはひどかった。つけっ鼻が落下することに始まり落下することに終わった。そもそもあの落下はごっちん鼻大きいからつけなくてもいいじゃん、という意味の作用現前だったと改めて解釈するのです。あのつけっ鼻装備は強烈なつけっ鼻批判だったし、加えて、例えばウッチャンがつけっ鼻をつけるのと同じで、ギャグとしてひどく楽しかったのだ。ディランもキャサリンもつけっ鼻はいらない。今度はつけっ鼻つけないごっちんごっちんネイキッドが見られて、そしてそれがもうギャグなのだ。という文章を書きながらどっちかの脳で、ごっちんの鼻の表面とそれに密着するところのつけっ鼻の裏側が交合する様、くっついたり離れたりする様を想像しているのだが、願わくばああいうところにこそCCDカメラを取り付けておくれよ。最高な気分。