矢口真里を巡る意識の流れの断片
 
24歳のやぐやぐに出会えるなんて想像もしなかったY。←Yってアゲハチョウの幼虫がにょっきりふりかざす角に似てるな。ひどく臭うらしいが嗅いだことはない。さて生物は光を呪う。光のせいで年を重ねるからだ。時間に止まってほしい。この理屈は何となくしかわからない。ともあれ太陽の周りを24回ゴーゴー回ること。それに約365を掛ける地球の上で回る矢口真里は何回転目か、ということを私は光の情報で知り得る。そこでは正確ということに意味はない。ただ光は正確である、エーテルライクな光だけがそれを知る、というのは知の欺瞞なのだろうか。知の欺瞞未満か。光媒質。光があるからこそ私たちはある、という言い方がもう光がなくても物々自体は自体としてあると考える思考に侵されている。転じて、何かを何かと同定することが「できないということ」が意識の病気なのである。私たちは同時に考えられない。そしてそのことにいつもブツクサ文句を言い続ける。それでもブツクサ言おうぜ!BANDやろうぜ!という気概が必要なのだろう。私は今から遡って地球が太陽の周りを回ること10回ぐらい前、BANDやろうぜ!にメンバー募集記事を出した記憶を持つが、定かではない。その頃はまだ、火曜日にサザエさん放送してたと思う。今「友情 純情 oh 青春」を聴いている。「最初からできるより楽しいことでしょ」のパートを唄うのはまいっはーだと最近狼で見かけた。ネットで調べたらどうもそうらしい。あの何ともいえない、いとおしさ、危うさはまいっはーの手によるものだったのか、と考えてボーっとする。今から遡って地球が太陽の周りを回ること2回と半分ぐらい前に録音されたまいっはーの声を今聴くということが自由でなくてなんなのか。自由すぎていやだ。私はまいっはーのことをまるで知らない。oh oh oh 友情 oh oh oh 青春 oh oh oh 純情 every day & night 私は24歳のやぐやぐに会いたくなかった。今から遡って地球が太陽の周りを回ること、という言い回しが今急に一瞬で陳腐になった。気持ち悪い。「さむい」という文化身体→生理は「おもしろくない」ということと実はそれ程関係ないのではないか。あと「笑う」ことと「おもしろい」も今相当乖離してると思う。多分概念のせいだ。悟性のせいだ。お笑いの概念が広まったせいだ。
 

 
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24歳のやぐやぐに出会えるなんて想像もしなかった。さて生物は光を呪う。光のせいで年を重ねるからだ。時間に止まってほしい。ともあれ太陽の周りを24回ゴーゴー回ること。それに約365を掛ける地球の上で回る矢口真里は何回転目か、ということを私は光の情報で知り得る。そこでは正確ということに意味はない。ただ光は正確である、エーテルライクな光だけがそれを知る、というのは知の欺瞞なのだろうか。知の欺瞞未満か。光媒質。光があるからこそ私たちはある、という言い方がもう光がなくても物々自体は自体としてあると考える思考に侵されている。転じて、何かを何かと同定することが「できないということ」が意識の病気なのである。私たちは同時に考えられない。そしてそのことにいつもブツクサ文句を言い続ける。今「友情 純情 oh 青春」を聴いている。「最初からできるより楽しいことでしょ」のパートを唄うのはまいっはーだと最近狼で見かけた。ネットで調べたらどうもそうらしい。あの何ともいえない、いとおしさ、危うさはまいっはーの手によるものだったのか、と考えてボーっとする。私はまいっはーのことをまるで知らない。oh oh oh 友情 oh oh oh 青春 oh oh oh 純情 every day & night 私は24歳のやぐやぐに会いたくなかった。
 

 
それを脳内安倍なつみ先生に添削してもらう
 

 
24歳のヤグチはあいかわらず虫デス。虫はもちろん生物です。強い光はイヤダ。何といってもお肌に悪いからです。時間にとまってほしい、って何でこんなこと言わせるの。安倍さんまだまだ若いよ!さていらない部分は飛ばして飛ばしてここで一曲聴いていただきましょう、「友情 純情 oh 青春」。oh oh oh 友情 oh oh oh 青春 oh oh oh 純情 every day & night いやあこれ安倍さん唄えない、こんな元気ないよ。なんだこれ!ションボリしちゃってる。うんまぁいいや、とにかくヤグチおめでとう!
 

 
それをやぐやぐにファンレターで送る妄想をする