ゴティマの奇跡


 
ごっちんのことを話すのにごっちんのおっぱいのことを話さないでいられようか、今素直にそう言える。俺には乳房がない。乳房が欲しい say!(all night long!)。その欠如が直接の駆動因である欲望を、じりじりと抑圧するのにちょうどうんざりしてきてたところだった。今日がごっちんの誕生日でほんとよかったよな、液晶画面の中のごっちんの胸を俺は繰り返し何度も何度もなでおろした。どんなに控えめに判断しても、おっぱいは空間の不当な寡占だ。充溢するホルモンのかたまり。そしてそれがごっちんのおっぱいであるということ。ああ俺はワナワナ恐ろしい。カタストロフがくる。つまり、こう問いたい、お前はごっちんを抱きすくめる時、ごっちんのおっぱいの不当さをどうするのか、と。その不当さを糾弾できるのか?「この悪いおっぱいめ!」などと鼻息を荒げながら、揉みしだくことができるのか?絶対に出来るわけがない。カントを引用するまでも無く、我々は、解くこともできず、さりとて斥けることもできない問題の前で、右往左往し引き裂かれる運命にあって。そしてこれは近代以降では珍しくもない人間の破局だよ。俺はカタストロフする。
 
なあんてことをブツブツ言ったけど、ほんとはどうだっていいんだ、おっぱいなんて。そりゃごっちんのおっぱいは好きだよ。リアクションは肯定しかないよ。星が出るまでうなずいてやるさ。でもなぁごっちん、それよりさ、ごっちんは俺が生きてきた中で多分間違いなく一番長い間付き合ってる女のコなんだよ。なっちとかやぐやぐとかかおりんとか圭ちゃんゆゆたんとかもそうだけどさ、って結構多いな!いやでも、13か14だっけか、それぐらいの女のコが20歳過ぎて21になって・・・そんな成長史を、ドキュメントを、きっとその僅かではあるのだろうけれど、それでも触れてきたわけで。今、ごっちんの画像フォルダをためつすがめつ遊歩しながら、やせたりぽっちゃりしたり忙しい、忙殺し、忙殺させる、後藤真希を見ている。これからも見ているし、そうだ、次のCDジャケットあれなんだ?すげぇ!後藤真希はつかまらない。徹底的に破壊を更新していく偶像の黄昏はいつ?遠いところに来たようで、実はずっと同じなのかもしれない、そしてまたずっと一様にどこか期待してて、限界セクシーでもロリキュートでも何でもいい、といえば随分ずぼらに過ぎるけど、自分の些細だがありったけの知性と道徳と喧嘩しながら、それでもいつも焦点には後藤真希、とそのおっぱい。