まこっちゃんの怖い話がほんと怖かった

主観的価値に関して
個人の純粋な音楽センスというものを想定するなら
それをそのまま個人の音楽摂取史に置き換えてみるに
如くはない。
個人の純粋な音楽センス=個人の音楽摂取史の体系化
である。
要するにその個人が生まれてからどんな音楽を聴いてきたか
その聴いてきた音楽のうちのどれが決定的因子になっていると
みなせるのか
その脈々と続く個人史であるコースを疑似科学的に認識する
試みだ、が、まあ面倒くさい。
ただ理解の一つとしてそれなりの
説得力を持っていると考える。
 
誰かがある曲を好き(嫌い)という時
その誰かの
純粋な音楽センス=音楽摂取史の体系化
が見てとれるという按配です。
 
ただしこちとら人間だ、
気分一般や感情一般が備わっていて
その作用を無視することはできないだろう。
 

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以上はあくまで想定にすぎない。
 
個人の純粋な音楽センスの抽出など
そんな思考の方法論は
ともすれば前近代的でナンセンスだ、とか
個人の「感性」≒センスは共同体が、経済が決定します、とか
センスは認知科学の問題だとか
色々な考え方があるだろう。