yomayoma2006-05-27

KANはもてないキャラ(変な顔キャラ)を往時とても頑張って張り切って演出していた。多分「愛は勝つ」の後だ。やまだかつてないテレビだ。やまだかつてないWINKだ。KANはその本業のプロダクトであるCDにおいてさえも、何故ここまでと言うほど徹底してその自虐を貫いていた。自虐に見えたのだ。今より幼かった僕はそれを、その自虐めいたキャラを、余りにも当然の事として何の疑いもなく受け止めていた。彼は本当にもてないのだろう、と。しかし今思うに、あれは本当にただのキャラ設定であり、キャラ設定に過ぎないのであり、KANは実は裏ではもてていたのではないかと、ウハウハで左団扇だったのではないかと考えると、15年越しぐらいに腹立たしさを募らせてしまう。
そういえば「キャラ設定」は、視聴者のメタの視点としてまだまだ全く流通してなかったと思う。いや、それは暗黙のうちには当然認められていただろう、しかし現在のように明確な概念化はなされていなかっただろうし、やはり視聴者のものではなかった。視聴者は素朴な視聴者だった、はずだ。いやそれは僕が単にそうだったからだろうか?それを一般に投影していたに過ぎない?ともかく、今や「キャラ設定」は循環して、TVに回収されて新たに再生産され、我々の日常をも脅かす存在になってしまっている。僕はここでTVと日常を対比させたいわけでは決してない。いやいや、こんな話をしたかったわけじゃなくて、今井美樹の、KAN作曲の「雨にキッスの花束を」を、ののか、なっちにカヴァーして欲しいなって素朴に思ったのがことの発端だったのだった。スキスキスー。