辻希美と岡田唯−ハロモニにおけるクラッシャーの系譜

「『アイドル』とは何とパラドキシカルに緊縛された制度的概念
であろうか。それは時代遅れの極致にして典型である。アナクロ
権化のようである。だがそれは同時に時流に乗り、流行を作り
牽引する或る種の先見的な力をさえも包含していなければならない。
ここには深刻な分裂が存するのだ。それはその作り手においても
受け手においても同等のものなのである。そしてこの困難な分裂を
はらみながら『アイドル』は生き残ってきたし、生き残っていく
のである。
 
この文章は、『アイドル』を生きている現行の二人
辻希美岡田唯に関するパンフレットであり、声明である。
だが、辻希美に関してはおろか、彼女に比して歴史の浅い
岡田唯に関してさえも枚挙に暇がない。
であるので、焦点をハロモニにおける
彼女達のおっぱい的振る舞い一点にしぼり話
を進めていく所存である。この一点においてさえも
その豊かな含蓄に諸君が唸らされること請け合いである。
 
しかし、この両者のおっぱいに関して、相通ずるところ
などあるのだろうか。それがおっぱいであるという正にその点
以外で。片や目を凝らしてもおよそ見ることが出来ない
なだらかさであり(地球に優しい)、片やハロプロ最高峰の一角を
誇り天空を衝く人間チョモランマである。これほど対照的なおっぱい
はないのだ。
 
さて我々は決して忘れてはいない。辻希美、彼女のおっぱい的
振る舞いについて。それは最早ハロモニの伝統となっている
一企画『一発ギャグゲーム』における行為であった。彼女は
餅つきをそのオノマトペ付き(ペッタンペッタン)で模しながら
おもむろに自分の胸をその餅つき原理でついてみせ『ぺったん!』
と言い放った。つまり自分の胸がぺったんこであることにひっかけた
自虐的なユーモアである。
 
『アイドル』が自分の胸の無さをネタにする、それも公衆の面前で。
いやそれ以前に『アイドル』が自分のおっぱいについて言及すること
これがエポックメイキングでなくてなんであろうか。
 
岡田唯については記憶が新しい。今週6月26日のハロモニのこちらも
伝統となっている『ハロモニ劇場』において、彼女はそのチョモランマ
を『キュッ』というオノマトペを口にしながら寄せてみせたのである。
更にそのあとおっぱいでエロチックにしなを作ってみせたりと、
とめどもない。
 
彼女のおっぱいの扱われ方は平素からかなりラディカルなものである。
谷間の強調された衣装はその証左だ。しかしそれとこれとは話が違うのだ。
彼女自身が彼女自身のおっぱいに呼びかけることの重み。
 
総合してみよう。『アイドル』のおっぱいはその形がどんなものであれ
直接的な言及を回避しなければならないイデーであったし、今もそうだ。
見てみぬフリが要求されるのである。暗黙知なのである。そして正に
同時にそれは、その度合いの差こそあれども、極めて言及されるべきなの
である。これが上記の分裂の一様相であるわけだが、彼女達はこの分裂を
軽々と飛び越えてしまうのだ。破壊するのである。
そしてその上でまだ『アイドル』であろうと生成し続ける。
 
矢口真里がスキャンダルで『アイドル』を辞めてから早2ヶ月である。
これは果たしていわゆるオーソドックスな『アイドル』という物語の
破産だろうか。それについては紙幅の都合により別に譲るとしても、
この辻希美岡田唯というクラッシャーによる時代の開闢、
『アイドル』を壊し、『アイドル』を産み出す所作はこの
『アイドル』という概念の矛盾を、矛盾のあり方を示している。
 
そして、この『アイドル』的実存は現代の我々のヒューマニズムなのだ」
 
という声明が極左地下組織「ユマニテハロプロ」の指導的メンバーから
出されたそうですよ。そうだよね、やっぱヒューマニズムだよね。