岡パイ−その意識的なイノセンス

ハロプロの良心として、アイドルのアイドルたらん
性的イコンとしての平衡であるところの擬似神聖、
つまり擬似処女性が厳然としてある。
それはいくら梨華ちゃんが水着姿を披露しても
梨華ちゃんの初水着はハロプロファンに少なからぬ衝撃を与えた)、
亀子が無邪気にきわどくても、たぁがさゆみんがそれぞれ
独特なエロスを撒き散らしても、やはりそうなのだ。
ただし
その妙味は理念としての完全な禁欲的世界観などでは勿論なく、
あくまで『擬似』というところにあることを重ねておく。
これを私は『意識的イノセンス』としてパラドキシカルに
概念化しておきたい。
 
さて
周知の通り表題にある岡パイがハロプロ内性的イコンレースで
トップ集団に彗星の如く躍り出て久しいわけであるけれども、
私がここで火急の問題として取上げたいのは
6月26日放送のハロモニにおけるハロモニ劇場という1コーナーでの
当の岡パイの所有者、岡田唯のおっぱい鳴らし行動である。
 
内容としては、先輩役の新垣里沙が率いる女子バレー部の
ランニング中に、後輩である三好絵梨香岡田唯
唐突にレシーブの練習をさせられるという一場面である。
そこで三好絵梨香についで岡田唯はレシーブの動作をやってみせるのだが
その際彼女は過剰におっぱいを寄せあげて、言うに事欠いて
『キュッ!』というオノマトペを発するのである。しかも都合4回も。
 
ここにおいて岡パイは、自己言及することによって、
つまり自身をネタとして昇華することで、純然たる『意識的イノセンス』を
放棄してしまっているのである。
 
『意識的イノセンス』を放棄することは何につながるのか。
それは意識的にあるにせよ、やはりイノセンスなのであって
それが失われると、ハロプロの良心もまた滅せられざるを得ないのだ。
これは抽象的な物言いに過ぎない。けれどパンドラの箱は開いてしまった
のではなかろうか。
その具象としての今後のハロプロの動向を注視しなければならない。
 
アナウンサーにそのおっぱいのふくよかさを言及された時の
あいぼんの無言。それを恥じらいと解釈して、それが例え
彼女の個人的傾向に過ぎないものであるとしても、ハロプロ
古き良き時代として、過去の遺物として振返らなければならない時が
やってくるのだろうか。憂慮してはばからない」
 
という談話が「ハロプロを見守る会」中道右派のX氏から
発表されたそうです。X氏ファイト!