モニチケ。あげちゃう!

yomayoma2005-02-07

きりりの娘。ミュージカル「モーニング・タウン」応募ハガキが本棚の整理中に出てきました。しおりとして何かの本に挟んでいたのです。その写真の中、13人の娘。がそれぞれポーズを決めています。経る歳月が何故か楽しかったりする。そういう側面もあるのか。
                  
今日はあいぼんちゃんこと加護亜依の誕生日。17歳。
       
真正な「カワイイ」ということを、知ってか知らずかおもむろに体現してみせるあいぼん。時々その真正な「カワイイ」ということを現した後照れたりしてみせるのが、ちょっとばかし救いだったり。というのは、照れるということは、真正な「カワイイ」ということを、完全に認識しているわけではないということの証左であると私は判断するからです。つまり、その真正な「カワイイ」ということに振り回されているあいぼんが、この時々現在する「カワイイ」あいぼんなわけで、いや勿論あいぼんはかわいいんですけど、そういうことではなくて、今は真正な「カワイイ」ということがこの第17回世界あいぼん会議の議論の中心点なのですから、発言は挙手でよろしく。つまりつまり、あいぼんが主体的に意図的に真正な「カワイイ」ということを選び取ってるわけではない、あいぼんでさえも真正な「カワイイ」ということを持て余してしまっている、そういう認識を、この真正な「カワイイ」ということ、そのような所作を見せた後のあいぼんの「照れ」から得られると、こう言いたい訳ですね。異議なし異議なし!何でかというと、「照れ」るということは、過去の「私」つまり過去の「あいぼん」実存に対する、あいぼんによる客観的な眼差しを意味するわけです。脱自なあいぼん。するとどうでしょう、客体化された先駆的あいぼん実存に対して、脱自的あいぼん実存の投企性が「照れ」を示すと捉えられるでしょう。というわけで、ここからは来年の第18回世界あいぼん会議の議題としてもうおしまいだよ!もういいじゃないかそんなことは!あいぼんはカワイイでいいじゃないかもう!もうあいぼんのおっぱいでこんな世界壊れてしまえばいいよ!アダムスミス先生はこう仰いました「あいぼんの見えざるおっぱい(が世界の究極原理)!」、竹田青嗣先生はこう仰いました「あいぼんのおっぱいという理念的存在の信憑が私達に与えられること、そこから現象学が始まります」
            
あいぼんおめでとう
               

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なっちの会見動画を見た。
当然笑顔ではない。
失われたものはいつまでも失われるのだろうか
       
「笑ってよ 君のために
 笑ってよ 僕のために」
   
道化師のソネット」 by さだまさし