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ジーヴァスを聴く
良くも悪くもこのヴォーカルの人(名前忘却)節
クーラ・シェイカーとの差異は
「余裕」というかなんというか
肩の力が抜けてるような感触か
かなり穿った見方をすれば
「ロック」「アメリカ」のパロディーっぽくもあり
かなり穿った見方
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昨日はカヴァー含め録音日
やはり手持ちのカードが
そしてそのカードの組み合わせが限りなく多くなった分
録音したい音のイメージを明確にしておかないと
かなわんなーと
新機材の可能性の1パーセントも
組み尽くせてないのではないかと
思う
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バンド
ベーシストさんから連絡があった。
前進しそうで嬉しい。
後はナイスドラマーカモン
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昨日はハロモニ関連にメディアで触れることなし
ダイジテンも見なかった。
キッズラジオも聴かなかった。(電波環境悪いため聴けない)
明日はうたばんにBerryz工房。
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そういえば
「W」にさだまさーしーとの仕事が舞い込んできた模様。
コネクションは大事だよななどとうなずいてみる。
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唄の消費スピードというものについて
考える。別に今の音楽産業体制批判とかではない。
我々の周りを流れる時間のスピードは加速度的に
早くなっていっているのではないか。
我々には無量のモノがあり
それを全て消費し尽くさねばならぬような
強迫観念がある。
そして生産と消費のいたちごっこが加速し
時間は早まっていく。
時間は心である。
唄が心に作用する具合も勢い変化せざるを得ないであろう。
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我々は量で近づき質で遠ざかる
漸近と漸近の相乗を体感している。
私が部屋一面に矢口真里の生写真をばら撒いても(そんなことしないけど)
矢口真里を24時間監視したとしても(犯罪)
情報が増えれば増えるほど漸近的に
質で遠ざかる(孤独になる)。