僕は当事者として一度も事故に遭遇した事がない。ヒヤッとしたことは何度となくあった。でも幸いにして事故にはならなかった。
車に乗るようになって初めて感じたのは、ルールに則っているとされる車の行き交い、交通がそれ自体として完全に独立している、大げさに繰り返すと、この世界から完全に切り離された、独立したもう一つの世界であるというような印象と、それから運転手の自我、その拡大の意味、日常生活におけるそれと比較して感じる違和のようなものだったように思う。これってそれ自体大まかに「社会」ってくくるとしたら、インターネットの世界と似てるかもしれない。
ともあれ、大きくはそうやって感じたことから、僕は運転する時は絶対事故しないって毎度決心する。当たり前といえば当たり前すぎる。でも「絶対」なんです。100パー。信念といえばかっこいいので、ちょっとした狂気みたいなものとでもいえば、適当かも。その狂気の前では、「それでも」とか、不可抗力とか、運とか、偶然とか、消し飛ぶ、排除される。僕は事故しない。そうやって、実際最大限注意を払う。ちょっと病的なまでに。他の車は敵だ、皆、敵なんて思う。当の事故以外への配慮も一切しないし。もうそれならいっそのこと乗るなよって思う、自分のことながら。ほんと端的に狂気だ。
事故は起きない、全部合理で回避できる、なんて話じゃなくて(そういう次元なら合理の「外」の事を一切考えないことなのか)、自分が運転する時は、自分は事故を起こさないって、ああ繰り返してるだけか。それは精神論でもなくて、気持ちのありようの記述でもなくて、そういう考えとしか言いようがないのだけど。いや、精神論でもいいや。ただ、一般論じゃない。まあでもどっちにしてもだから何って話で。なっちにそういう考えを持って欲しい、持つべきとかそういうのでもなくて、なっちはなっちの考えを持つ。
 
安倍さん、(26)って脇についてる!って思った。てことは圭ちゃんはもうすぐ(27)か。僕は(29)です。みんな年とってくなあ。あやや(21)も免許取りにいってるって言ってたっけ。