お願い魅惑のターゲット」を
つとめて聴かないようにしている。
聴くと何故だか無性に寂しくなるからだ。
 
関連づくかどうか分からないが、どうも以下の感覚に似てる。
 
夜電車に乗って車窓から車外を見ると
当然住宅の明かりがそこかしこに見える。
その明かりの下で見知らぬ人たちが生活しているのだ。
私とは一生知り合わないだろう彼ら。
「でも」彼らは確実に生きていてそれぞれの生活をしている。
この不自然な逆接「でも」(誤用でないといいたい)のニュアンスが
ポイントだと思うのだが、うまく説明できない。
青年期の傲慢な自意識だけの問題ではないはずだ。
もう一つのポイントはメロンの姉さん方が
この唄で一体何を唄っているのかということである。
メロン自身についてなのか?というとそうでもありそうでもないような。
いわゆる一般と特殊の関係をほのめかすことだけに終始したくないのだが。
 
わからないまままとめると
「でも」メロンは唄うし「でも」この唄は唄われる
ということである、が、これでは何のことやらさっぱりだ。ひどい
 
今日はメロンツアーラスト。