光GENJI

光GENJI

 
チャゲ&飛鳥とアレンジャー佐藤準チームによる
光GENJIデビュー」というコンセプトアルバム。
その意味では100点満点の出来かと。
何故この今、およそ20年ぐらい前の出来事、
光GENJIのデビューアルバムを熱く語りだすのか
自身も全くわからないのだが、それはまあいい。
過剰ともいえるドラマチックな展開力、ミュージカルのような味付け。
もとより楽曲だけで言えば
チャゲ&飛鳥のオリジナルアルバムだというぐらい
全力な1枚。二人のバランスなんてまんまそれですよ。
 
1曲目の「THE WINDY」は光GENJIのイントロテーマである。
恐ろしくドラマチックで濃密な一曲。
ラップの導入や語りも耳をひくが、サビの「GE・N・JI」「HI・KA・RU」という
合いの手コーラスがギョッとさせてくれる。具体的にはこうだ。
 

迷わないよ (GENJI)
君のもとへ (GENJI)

 

手をのばして (HIKARU)
守ってあげる (HIKARU)

 
一緒にコールしたくなるパワーがある。
多分飛鳥先生はこういうコールを入れてくれと
プロデュースのレベルで求められたのだと推測するのだけれども、
その回答にとってつけたような感じはまるでない。
赤穂の粗塩のような、または、さゆのつるつる卵肌のようなナチュラル。
そしてそれが大事なのである。
やたらめったらどこでもコールすればいいというものではないだろう。
自然なセンスで「MI・YA・BI」とか「SA・YU・MI」とコールしたい。
コールすることでその対象を抱きしめるような喜びがある。
そしてそんなコールが楽曲の純然たる一要素であるということの喜び。
といってもこれを
ハロプロコンサート現場のヲタによる慣習的コールの作法に対する
遠まわしな批判であると捉えられてしまっては困る。
制作側の言わば倫理の話なのだ。
 
ところで「ガラスの十代」とか「STAR LIGHT」を
速やかに公共財にして、例えばベリっ子が唄うのはどうだろうか。
ベリっ子のユニゾンパワーコーラスパワーは機能的にそのまま合うだろうし
何よりこれらは単純にいい曲なのだ。性差はあれど年代に無理はないだろうし。
そこで急にうすら悲しくなったのは
今や効率の面からコマーシャルのないカヴァーはないから、
ベリっ子がこれらを唄うことは実現しないだろうという淋しい想像による。
俺ってほんとガラスの十代だよなあ、そして君はカラスの女房だよなあ、
というようなことを飲みながら裕ちゃんに訴えて、ほんまアホな子やなぁと
ほんのりピンクの頬にたしなめてもらえたら、しめたものだ。
ともあれ、光GENJIの歴史哲学的固有より
このソングチームの固有を、楽曲の固有を推したい年の瀬である。
それはベリっ子の固有を無碍にするものでないと信じている。
 
あるいは特別な意味として、
声変わり前後のアドレッセンスな少年たちが唄っていた楽曲を
現代の少女たちベリっ子が唄うという重ね合わせプレイと考えると
これはこれでなかなかに刺激的じゃないか。