亀井絵里が絵里スマスに自宅にやってくる、というメルヘンはままあることです。愛ちゃんは僕の心のアタッカー - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ 僕は絵里スマスだ絵里スマスだとはしゃぐのですが、亀井デラックス絵里は「そういうのやめて。迷惑だよメイワク」と柄にもなく口を真一文字にしてたしなめてくるのでした。何故迷惑なのか、僕には分からない。
 
ところで絵里スマスの由来をご存知ですか。僕は知りません。でも何となく、クリスマスがキリストの誕生日だから、それにひっかけて亀井絵里の誕生日を絵里スマスと言うのではないか?と推測してみるのです。恐らくこの野暮な推測はそんなに外れてもいないでしょうが、野暮であることにはおよそ変わりないでしょう。僕はやはり推測なんてするべきではなかった!
 
ともあれ絵里スマスの夜も一様に更けていきます。屋外のデコレーションライトがエコ精神に屈服するのを見て少し遺憾に思ったり(点いていていたらいたで遺憾に思うという身勝手です)、あいも変わらず人を強制的に忙しくさせる、愛おしくて憎たらしい年末の毎日。そんなある日のある瞬間を境に、女の子が17歳から18歳へと飛躍してしまう、命がけの飛躍。これは一体何なのだろう。こたつの隣の亀井絵里を目の端っこで捕捉しながら、なのですが、この子においてそういうダイナミックな転換があるし、ほんの今あったのだとはどうしても想像できません。みかんを食べる時は少なからず黙るタイプの彼女です。予期せず種が嚥下を邪魔する時、「ん〜」と言いながら、口内から手のひらにそれらをよりわけ移して、僕は本当に見たくもないのに無理やり見せてくれる彼女です。「照れないで(いいから)」って、照れてないよ。
 
クリスマスに誕生日というモチーフは今まで幾度と無く誰彼の語りに現れます。物質非物質を問わず享受することにおいてどうも幾らか損であるという点で、それらの語りはおおむね一致をみるでしょう。しかし亀井絵里は一度としてそんな不平不満を言わない。これは何故なのだろう。ひょっとしたら彼女はとても我慢しているのではないか。僕は何だか少し心配になったので水を向けてみました。以下はそのやり取りの一部始終です。
 

 
僕「クリスマスに誕生日〜♪(「クリスマスに誕生日」by双葉双一)」
亀「ん、何それ」
僕「クリスマスに誕生日〜♪」
「ん」
僕「クリスマスに誕生日〜♪」
亀「んん〜んん〜たんじょうび〜♪」
僕「クリスマスに誕生日〜♪」
亀「クリスマスにたんじょうび〜♪」
僕「クリスマスに誕生日〜♪」
亀「クリスマスにたんじょうび〜♪」
僕「絵里スマスに誕生日〜♪」
亀「クリスマスにたんじょうび〜♪」
僕「プレゼントはひとつだけ〜♪(替え歌)」
亀「ハハハ」
僕「プレゼントはひとつだけ〜♪」
「ん」
僕「プレゼントはひとつだけ〜♪」
亀「・・・」
僕「プレゼントはひとつだけ〜♪」
亀「やだ」
僕「プレゼントはひとつだけ〜♪」
亀「んー」
僕「プレゼントはひとつだけ〜♪」
亀「やだやだ、やだやだやだ〜あも〜」
僕「お年玉もありません〜♪」
亀「なーんでそんなことゆうのハハ」
 
亀「気づいちゃったょおー、絵里毎年損してるじゃん!フハハ」
僕「気づいてなかったの」
亀「ハイ」
僕「なに」
亀「今までのぶんを」
僕「いやだ何で俺が」