睫毛の先に刺さった

ハロショ限定の矢口真里Tシャツで
舞台に立とうと思ったのだが未遂に終わった。
やぐにはたかれたい。
「なにびびってんだよ!」って。
 

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東京駅の売店ビッグコミックスピリッツを。
ただ東京に買出しに来てる人みたいに帰りには
荷物たくさん。行商目指そうかな。
 
それでこんこん。
ほんと北海道はただ無闇に広いだけでない
懐の広い土地だな。開拓の民ありがとう。
こんこんだけじゃないが
ハロプロメンで北海道産のミルキーっ子は、たくさん。
豊饒な土地だ。いやおっぱいだけの話じゃないぜ、みきてぃ。
 
妄想を掻きたてられるのは
こうやって写真をとられるとき
しかも水着でおっぱいもろーんってとき
こんこんはどんな挙動をしているのだろうか、っていうところ。
ちょっとどこか恥ずかしがったりしてるのだろうか
控えめに端っこに座ってぽっけのイモなど齧ってるのだろうか。
それともあけすけで、水着ですら邪魔、みたいな
開放的こんこんで、衣装が無ければ無いほど、
裸形のこんこん全開で、他者と積極的に交じり合うのだろうか。
そういえば、眠ってるこんこんは浴衣の前はだけたり
目をうっすら開けてたり(これはなっちだっけ?)と
大判振る舞いなわけだが、これは無意識の範疇と断じる方が無難か。
 
まぁどちらにしても以上はあまりに一面的な推測であろう。
 
しかし、拙論によれば、こんこんは己の豊かさを、
客観的価値としての豊かさを、多かれ少なかれ認識し
多かれ少なかれ行使しているはずなので
それがどのような行為として表面化しているにせよ
そこにはこんこんの奥深い自信のようなものが
それもちょっとやそっとでは揺るぐことのない自信のようなものが
あるはずなのだ。
 
我々はリアルこんこんを後追いで確認することしかできない
(しなくてもいいという向きもあるが)
いや後追いでも、五感による感性的な確認はできないのだ。
それはDVDという補助でも質的には当然埋められない。
だけど我々はそれでも追認しようとする。ハワイのこんこんを
あえて言いかえる、そう、彼岸のこんこんを。