儀式

結局ふたを開けてみないと分からないのだけれども
その場が、「モーニング娘。」を完全に殺してしまう象徴的な儀式、
エポックとして機能してくれればいいんじゃなかろうか。
これは勿論積極的な意味で。
新しい「モーニング娘。」(これは矛盾した表現かもしれない)は
始動していると在宅ヲタの私でも感じている。現場ヲタはもっと
センシティブにそれを受け取っているという印象を私は持っている。
タイミングから言えば少しくズレを感じるのはしょうがないけれど
紅白という舞台でこういう象徴的な儀式が、つまり一応国民レベルでの
訴求力、広い意味で影響力を持つプログラムにおいて、
これが「モーニング娘。」ですと、喧伝することが逆説的に、
これが「モーニング娘。」「でした」と過去形にしてしまい、
今の「モーニング娘。」を分断せしめる、今の娘。にアイデンティティの根を
植えつける、そんな契機になればいいのではなかろうか、と。
楽観的で観念的だが。
ともかく、そんな印象を与えるような演出になればいいのだけれど。
19人だけれど卒業メンバーが目立つような、いや確信的にいえば
卒業メンバーの方が自ずと目立つかもしれない。ともかく
それならそれで好都合だ。「モーニング娘。」が死ぬ瞬間だ。
 
NHKの今回の企画の是非とか
事務所の一貫性に欠けるように見える
やり方とかについてはよくわからない。
 
しかし恐ろしいのは「ラブマ」だ。
ラブマイデオロギーというか。
すごくフェティッシュな存在になっちゃったな。
たくさんの人がその唄に関心を持つことで
当のその唄に縛られることになるなんて。
♂もゆめゆめ思わなかっただろう。
現象自体はよくあることなんだけれども。
それに悪い面だけではないし。
 
しかしメンバーはどう思ってるんだろうなぁ