スカラカ チャカポコ

時々ほんとうに時々
漠然とだが奇妙な感覚が訪れる。
それは自分が自分であることや
近しい周りの人間がそうであること
遠くは例えば
亀井絵里亀井絵里
れいながれいなで・・・
ハロプロハロプロであること。
それは決して人物に限ったことではないが
人物に対してよく感じるということが真実らしくみえる。
 
つまりそれは
それがそれであること
何かが今その何かであることの不思議
どうしてその何かは今その何かなのかという
他でもありえたかもしれないのに何故そうなのかという
素朴な問い
しかしそれは究極的には問いではない
問うているのではない
十全にわかっているのだ。
反語的な逆説的な問いだ。
それは絶対こうでしかありえなかった。
 
亀井絵里亀井絵里でしかなかった。
れいなはれいなでしかなかった。
交換は不可能だ。
「運命」でも追いつけない。
 
それは決して後ろ向きな事後的な
事態の甘受などではない。
時間的な人間の正当化などではない。
可能世界もパラレルワールドも許さない、このありよう。
 
だから私にはわかる。
私は亀井絵里田中れいなの等身大ポスターを
手に入れる。
これはもう絶対にそうなのだ。
絶対的な事実なのだ。
 
私のハガキを抽選してくれる誰かへ
これは絶対的な事実なのだ。
よろしく。