wolves
狼が二つになった夜
今のところそれは単純に二つになったとしか
感じられないが。これからそれぞれがそれぞれの
傾向を持ち、自覚的にあるいは無自覚的に駆動して
いったりするのだろうか。
第一に私が楽しいのはほとんどスポーツ観賞に似た
身体反射がそこで繰り広げられているという点だ。
というわけでどちらかと言えば、自覚よりは無自覚に、
集合の無自覚に期待している。狼中毒。
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今更なんだろう。そして梨華ちゃんが女の子言葉を
唄うのを聴くことは更に、なんて、そんな言及は野暮だろう。
梨華ちゃんの「〜なの」とか「〜だわ」とか。
「理解して!>女の子」以降の話。
「クレナイの季節」はマイナー調
ラテン・サンバフレーヴァーなパーカッション。
16分ミュートカッティングディレイ風味。ミュンミュンシンセベース。
「歌謡曲」とどう対決するか、は一つJ−POPの至上命題である。
といっても一義的な「歌謡曲」などは存しないわけで
じゃあどうすりゃいいの、とは自意識の弁。
コーラスが嬉しい。Bメロの追っかけ。
サビにもふんだんに。ライブでの
パフォーマンスに期待せざるを得ない。
「内心キャーキャーだわ!」
オルガンのリフレイン。ギターがドライブする。
スネアのコンプレッション。軽快ポップソング。
Aメロのヴォーカル回し。3人の旨み。
梨華ちゃんはみーよは唯やんはこういう風に唄う
というのが手に取れる喜び。
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この2曲のBメロの機能の相違。
前者は連続的にサビを誘う。
後者はBメロで一旦終止・完結。
コード進行から以上の判断は妥当であるだろう。
その上で、コーラスのあり方の違いが
この判断にどれぐらい関係するかという
問いは考究に値するかもしれない。
値しないかもしれない。
もう一つ別の観点から
後者においては「内心キャーキャーだわ」という
タイトルがBメロの終わりに唄われることが
終止感のポイントになっているだろう。
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なるほど
このシングルから♂の手に戻るということになるのか。
ともかく
歌い手美勇伝の楽しみ方が分かってきたのかもしれない。
一般的に言えばトリオの妙であり
特殊に図式化すれば
梨華ちゃんの引力圏におけるみーよと唯やんの遊泳である。
アルバムを楽しみにする。