投票行って外食

yomayoma2005-09-11

マイッハーのことを考える。
 
私には軽いショックだった。
社会における個人の意志のあり方。
名前があることは責任が問われること。
石村舞波の卒業
 
「真相」という名の事象の合理的な解釈がある。それは説得力を持つ根拠に裏付けられる。例えば、事実としてのおよそ全情報をデータとして、それらから帰納的に仕立て上げられた「真相」は強い、と考えられる。そのような「真相」から演繹してみれば、整合性を乱す要素は瑣末なものとして排斥されてしまう。石村舞波の個人的心情について、我々はどれぐらい考えることが出来るだろう。個人的心情について考えられないのなら事の真相についてなんておよそ考察不能だ、なんてことを言ってみても、そのような言述は無意味なものとして切り捨てられるだろう。ごめんマイッハー、私はやぐやぐのことを考えている。
 

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