2005-08-15 ヲタの主体の系譜学 何を正しいとするか、が問題である。 何かが正しいと決まれば、ドミノ崩し、全ては演繹的に決定される。 「ヲタの主体性」がどの次元の要素であれ、同様である。 例えば ハロプロのアイデンティティが本質としてあれば 正しい演繹の元、ヲタのあり方は必然的に決定される。 繰り返すが ヲタの主体的あり方が先でもいい。 ヲタの感性・肉体等をアプリオリなものとして 肯定すれば、ハロプロに求められるものは自ずと決定される。 以上は一つの倫理だ。 同時にそれ自体理念であると言えよう。 我々はどの道同定から逃れ出る存在なのだから。