ストゥーパドミノ

yomayoma2005-05-23

フレッツのムーヴィングレディオ
今日もごっつぁんです
 
視聴者から
あるシチュエーションドラマのアイデアを送ってもらい
それに準じごっちんが小芝居するというコーナー
 

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私の中において
演技のうまさの基準は
ほとんどそのナチュラリティによっている。
 
どれだけ自然な演技か、がポイント。
 
でも自然って言っても
少し考えてみたら、それは次元として多岐にわたるもので。
つまり、見た感じ不自然でないというレベルでの
「自然」なんてものはとても表層的だろうし
演者が演じる役の役柄、キャラクターなどから
更には、作品世界というバックグラウンド、
いつ作られた作品なのか、監督は誰か、共演者は等等
基準としての対象を拡大・敷衍していけばきりが無かったり。
 

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翻ってごっちん
私は彼女演技うまいと思うのだけれど。
 
それは
やはりナチュラリティという言葉で形容できる基準
での判断による結論ですが、
その内実について一つ言えることがある。
 
その内実は
彼女のパーソナリティを
少しは知っているというところから
その彼女本来のパーソナリティからの対照だと言えると思う。
 
漢字読めなくても別段平気なごっちん
ぬははって笑っちゃうごっちん
古風な言葉遣いしたりギャルっぽかったり
クールだったりホットだったり
ヒップだったりマイペースだったり
ごちゃまぜのごっちん
 
その総体としてのパーソナリティを少しでも
知っていると
彼女の演技の場面に出くわした時
驚くことになる。
 
あの「ごっちん」が演技をしている。
ごちゃまぜのごっちんにおける演技とは?
それは演技というよりはむしろ
一貫したごちゃまぜの発露に過ぎないのではないか。
演技という体裁のごっちんの未知のパーソナルではないか。
そういう驚きだ。
 
そしてこれがナチュラリティの内実である
と考えた。
 
でも
こういう物言いは
彼女に不公平かもしれない。
 
何故なら彼女は主体的な演技者で
私がこじつけた概念などとは
無縁な世界で演じているのかもしれないのだから。
 

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なっちと亀子も演技うまいと思う。
けど
彼女達にはまた別の要素を発見できそうだ。