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洞察=直観
のチカラ
というものが確かにある。
推測、分析、判断、思惟・・
とは次元が異なるような。
勿論両者を実質的に区別する必要はないだろうが。
そういう情熱が今はあまりない。
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後者が技術的であるとすれば前者は?
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今日は娘。関連何もなし。
前々日の体験の反芻にふける。
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「哀ちゃん」という像は
もはやデフォルトであり
私の中ではもう決定的に何か損なわれてしまったなと。
コンサートでその虚実の反転を期待したわけではなく
ただあきらめに似た感情で眺めた彼女と彼女の周囲の
関係性。
媒体を通す限りでの「高橋愛」は実直で生真面目で・・・
そのことが私の中で
物語として物象化した。
そういえばここには虚も実もないのである。
やぐに話ふられるたぁ
あいぼんと戯れるたぁ
他
他
「心」は「時間」の謂いであり
可塑性を持たない。
絶えざるパースペクティブの伸縮。
タイムマシンで行こう
タイムマシンにお願い
タイムマシンは来ない