しわしわすー

脳と気持ちの整理術 意欲・実行・解決力を高める (生活人新書)

脳と気持ちの整理術 意欲・実行・解決力を高める (生活人新書)

を読んでる。

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記憶−理解って契機で、アウトプットがインプットへフィードバックするというのは、腑に落ちるはなし。そしてアウトプットすることで記憶の定着を図る。ただ方法ってたくさんだと思ってる。例えば、ゼミの先生は、メモとらず3度ぐらい読む方が理解にはよい、効率もよいのでは、と仰られてた。その人に合ったスタイルもあるだろうし、それこそ能力の適不適があって、じゃあそれを見定めて、スタイル化というような。で、その方法、スタイルを反省してブラッシュアップできるかもしれないし。
また、その事案、対象が何であるか、その情報をどうするのか、など行為との連関、目的によってスタイルを選べるといいのだろう。ただ全く逆方向になるのだけど、非効率で非合理、遊びの「効用」、「非効用」の効用ってのに自分はとりつかれてて、それがいい時も悪い時もある。作品を100回経験する、ってのはこちらの方法でしょう。無論、それにあたって全く何も考えてないとか思ってないとか、そういうわけではない。ただ集中してる。有用か無用かも考えてない。
そっち、非効用の効用の方法が要求される時とされない時があって、されない時の方が生活、実践においてはきっと多い。だから、バランスとれたらとは思う。人生の信念みたいな話になったら、どっちが楽か、うーんどっちも楽もあるし苦もあるしな。自分の行為意の値観規範に関する前提や状況に対して意識的であるのって、方法を相対化できる。自分は非効率主義だなと思う。

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「わかる」って事態にはとても興味がある。なので、色々継続的に読んでる。数学の問題が「わかる」、バッティングのタイミングが「わかる」、相手の話が「わかる」、音程の違いが「わかる」、宗教的神秘的体験の「わかる」、とか、「わかる」つってもたくさん。「わかる」つってもたくさんっていうことで「わかる」を「わかる」フリしてる。ちょっとは「わかってる」かもしれないし、ちょっとも「わかってない」かも。
記憶に関しては

「わかる」を包括的に眺めてる本
暗黙知の次元―言語から非言語へ

暗黙知の次元―言語から非言語へ

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ちょっとずつでもアウトプットしていく予定